←Back to KNOWLEDGE Top




セントバーナードが一日に食べるエサの量は2kg。




中世キリスト教聖者の大半は宗教的色情狂であった。
日々自らムチ打ち、ロウをたらし、ナイフで切りつけるという自虐プレイを続け
それが献身的行為とされ聖人になっていった。





米国の商売人は現金でモノを買う客を「cash bum(現金乞食)」と呼ぶ。

*現金払いの客はリピーターにならないと考えられているため。





南米では夫婦の買い物は必ずふたり揃って出かける。
夫婦仲がいいからというより
旦那が一切の金を管理しているため。





母音を多く発声する話し方は
聞き手を熱狂させ、目眩を起こす響きがある。

*フランス革命時
民衆は感嘆を表す母音「ア」と嫌悪を表す母音「イ」の組み合わせで
「サ・イラ、サ・イラ」と連呼し熱狂していた。





東武野田線は「世界で最もダイヤが高密度な単線路線」




ゲンコツをゴンケツという地方は想像以上に多い。

紫蘇(しそ)を「ちそ」という人は想像以上に多い。





記録として残っている最古の「コイン式自動販売機」は
AD1世紀ごろのギリシャにあった「聖水自動販売機」。
記録を残したのは数学者のヘロン。

*そのへロンは、馬車の車輪の回転を利用し歯車を用いた
距離計(現在のタクシーメーターみたいなモノ)を考案した。





セロリのカロリーは
「セロリを消化吸収するために使われるカロリーの方が高くなってしまうほど」
非常に低い。





「ビスケット」は、19世紀初頭に難破した船の船員たちが考案したもので
たどり着いた「ビスケー湾」にちなんで名付けられた。





京本政樹は、グリコ森永事件で逮捕されそうになったことがある。

*当時、事件の起きた近くに住んでいて
犯人が使ったのと同型の和文タイプライターを使っていたため。





「パスタ」の語源はギリシア語のパステで
イタリア語で 「食べられる糊」「栄養のある糊」の意。





テレビ版の「シェーン」で主人公を演じたのは、デビッド・キャラダイン。

*東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送された。
「燃えよ!カンフー」の十年前の60年代半ば。

0.6秒の早撃ちとして有名なアラン・ラッドの「シェーン('53)」
決闘シーンになるとダブルアクションの銃に変わっている。

*当時早撃ちナンバーワンがゲイリー・クーパーの0.4秒。
二位がこのラッドとされていた。





映画「第三の男」の主題曲で有名な
チター奏者アントン・カラスの本職は鍛冶屋(メタルワーカー)。

*ジプシーであったアントン・カラスの姓「カラス」は
「黒い」という意のジプシーの賎称。

*ウィーン市民は、この映画の主題曲「ハリーライムのテーマ」に好意的ではない。





「ゲバゲバ90分」は「カリキュラマシーン」製作のための手法テスト(実験)として作られた。

*「カリキュラマシーン」は「セサミストリート」を参考にしたが
その「セサミストリート」が参考にした「ラフ・イン」という米国のコント番組を
実際に真似してみたのが「ゲバゲバ90分」。

「ズームイン!!朝!」「午後は○○ おもいッきりテレビ」は
「カリキュラマシーン」「ゲバゲバ90分」を生みだしたスタッフで作られている。





タレントの井上和香は、ウルトラマンに登場した怪獣レッドキングに似ている。




ベーブ・ルースは一回の競馬で3万5000ドル賭けて負けたことがある。

ベーブ・ルースは、ある年4万ドルの収入があったのに
翌年春には1セントも持ってなく、球団に前借りしたことがある。

ベーブ・ルースは、ある年キューバで映画を作り2万5000ドルの小切手を受け取ったが
ポケットに入れたまま忘れてしまい
気付いたときには会社は倒産していた。

ベーブ・ルースは喧嘩早く
1シーズンで5000ドルの罰金を申し渡されたことがある。





1930年に米国シカゴで開かれたダンス・マラソンは、3327時間(138日)続いた。

*別のダンス・マラソンで、18時間踊り続けて死んだ人がいる。

*米国でダンスや賭け事が市民権を得たのは1912年以降のこと。
それ以前は「道徳的退廃」といわれた。





碁盤のマス目の線は、ネズミのヒゲで作った筆で描く。

碁盤のボコボコした足は、クチナシがモデルになっている。

*見てる人らに「お静かに」という意味が込められている。
なので「クチナシ(口無し)」。





英語の「wed=結婚する」という語は、元来バクチで賭けることを意味していた。

*それが花婿から花嫁の父に贈られる財産を指すようになり
結婚の約束という意味へと変化していった。

日本語の「婚姻」の
「婚」は「嫁方の家」、「姻」は「婿方の家」という意味。

中世ヨーロッパでは結婚式の記録を
立ち会い人の殴り合いの痛みに頼っていた。





ボーリングで0点を取る方法は1通り、1点は20通り
100点なら50613244155051856通りある。
一番多いのが77点を取る方法で172542309343731946通りある。





19世紀の終わり頃、米国ボルチモアで当時大ブームだった
「14-15パズル」の中毒になっていた某編集員は
昼食に出かけ、パイの切れ端を動かしながらパズルの「解答」を探しはじめた。
そんな彼をスタッフが発見したのは真夜中だった。

*「14-15パズル」はサム・ロイドが1870年代に作り出した解けないパズルで
「できない」が正解。
なので特許が取れなかった。





20世紀の初め頃、オランダのデボア氏は六本組木の組み方の総点検に10年を費やした。




神社のおみくじを木に結びつけるのは「末吉」と「凶」だけ。
その他は持って帰るのが正式。





ルービック・キューブの米国での正式名称はニコルズ・キューブ。

*エルノー・ルービックがハンガリーでキューブパズルの特許を取ったのが1976年
一方米国マサチューセッツ在住のラリー・ニコルズが2×2×2のキューブパズルの特許を取ったのは1957年。
特許権侵害の裁判の結果勝利したのがニコルズだったため、ニコルズ・キューブという。

1980年代はじめ、英国の某市長はルービック・キューブのやりすぎで、親指の腱の手術をした。





秘密保持のための、CDやDVD専用シュレッダーがある。




靴に左右の別ができたのは19世紀中頃以降のこと。




ジョン・レノンとポール・マッカートニーは
トワイニング・ティー(紅茶)をパイプに詰めて吸っていた。

70年代の後半頃、乾燥させたバナナやセロリやレタスを吸うのが流行したことがある。





1955年に「蚊と蠅を撲滅するための三カ年計画」なるものが閣議で決定された。

*東京上空でDDTの空中散布が行われ、小学校では「蠅取り大会」が催された。

1927年7月20日に東京全市で一斉に「はえ打殺しデー」が実施された。

*この日の蠅捕獲数は4599万6468匹。
最も多く捕獲した人は5万130匹だった。

蠅取り紙の正式名称は「リボン型ハイトリ紙」。
1930年に「カモヰのハイトリ製造所」という会社が売り出したもの。





赤線入り棒状体温計は1928年に現在の「テルモ」から発売されたが
当時の社名は「(株)赤線検温器」。





LSDによる死因で一番多いのは墜落死。

*自分が鳥になったり、羽が生えてきたりする幻覚に捕らわれ
ほんとに飛べると思ってしまうため。

*紙に染みこませたモノを噛むのが普通らしいが
米国にいた人の話によるとパーティでケーキにも混ざっていたりするらしいので
知らずにトリップしちゃう場合があるらしいのでご注意を。





昭和7年ごろ、現在の百均同様に全商品が十銭均一の
「十銭ストア」という店が大ブームになっていた。

*日本橋高島屋が米国の10セント・ストアを真似て始めたのが広まった。

*「均一」という言葉が最初に流行ったのはもっと古く、大正4年頃のこと。





「ポパイ」に登場するハンバーガー好きのウィンピーのフルネームは
J.WELLINGTON WIMPY。

*オリーブのフルネームはオリーブ・オイルだが
スペルはOILではなくOYL。

ポパイは永遠の34歳。

ポパイが初めてアニメになったのはベティ・ブープ作品のゲスト。





ウナギをスペイン語で「アンギラス」という。

*ウナギの血液には毒が含まれているので刺身では食えない。





11年目の結婚記念日は「鋼鉄婚式」、夫が妻に鋼鉄製品を贈る日。




中央線国立駅前のディスクユニオン
あの場所は60年代にはローラースケート場だった。

*スロットカーのミニレース場が併設されてた。





ホテルニューオータニ東京「ブルーラウンジ」(1999年に回転停止)や
銀座スカイラウンジの、回転展望レストランの回転技術は
戦艦大和や戦艦武蔵などの46センチ砲台を応用したもの。





昭和33年のフラフープ・ブームの時、77才の志賀直哉も勇んで回していた。




パズルの王様と呼ばれ、「奇妙な論理」の著者マーチン・ガードナーは
1956年に「毎月コラムを書けるくらいネタがある」とサイエンティック・アメリカンに売り込みしたが
そのときには数学関係の本は一冊も持っていなかった。

*M・ガードナーは、数学者たちから尊敬を集める人だが
数学の専門教育を受けたことは無い。
「音楽を聴くのが好きな人が、作曲したり演奏したりしないのと同じ」とは彼の弁。





ケン玉が子供のオモチャになったのは
明治40(1907)年に箱根の温泉土産として売られてからのこと。

*ケン玉(拳玉)は江戸中期に支那から輸入されたもので、大人の遊びだった。

*横位置の鼓形の受け皿が装備されるようになったのは大正時代になってから。





18世紀、フランス人バルテミー・ティモニエはミシンを発明したばっかりに
仕立屋の一団に半殺しにされた。

ティモニエがミシンの特許をとったとき
最初に関心を示したのはルイ十四世の仏軍。
制服を採用したために「大量生産」が必要になったのである。





ニワトリは左利きが多い。よって左足のほうが美味しい。




ファラガモの創立者サルバドール・フェラガモは
9才で初めて靴を作り、14才のときには6人の職人を使う店を構えていた。





「眠れる森の美女」オーロラ姫の、目覚めたときの年齢は120才。

*一般的には116才だというツッコミ(指摘)がありました。





TBSの「水戸黄門」で格さんが印籠を出すと決まったのは、第12部から。




人間の目は、10才くらいから老化が始まる。

*10才で水晶体の弾力が衰えはじめ、10代後半で目の調節機能が最も急激に低下する。

人間の嗅覚は20才くらいから衰えはじめ
40才を越すとほぼその半分しか鼻が利かなくなる。

*嗅覚の老化は、視力・聴力に比べればやや遅く
味覚・触覚に比べると早い。





明治19年1月28日に京都の農家で81才の老婆が赤ん坊を産んだ、という記録がある。

*その子は「八十一(やそいち)」と名付けられた。





フランスの探検家マリオンが1776年にセイシェル諸島で捕獲した亀は
142年後の1918年に大砲の下敷きになって死んだ。





ロベルト・ロッセリーニ監督は、完成した自作は二度と観ない。

*もし観て感動してしまったら、次の作品がもう作れなくなるから、というのが理由。





「餅」は英語で「samurai's cake」という。

*辞書には「rice cake」とあるが、ピクサーの新作アニメの予告で
主人公が叫ぶセリフでは「samurai's cake」と言っている。


あれは「some rice cake」と言ってるんだそうです。
ツッコミ感謝です〜





アンリ四世の二度目の妃、マリー・ド・メジチの分娩は200人の見物客の前で行われた。




マリリン・モンローと菅井きんは、共に大正15(1926)年生まれの同じ歳。

*モンローは6月1日、菅井は2月28日なので学年はイッコ違う。

*他に東千代之介、小松方正、佐田啓二が同じ歳。

*植木等はマリリン・モンローのイッコ下。
京マチ子、高峰秀子、赤木春恵はマリリン・モンローの2コ上。

新選組・永倉新八が死んだのは大正14年。享年77。

*維新後、杉村義衛と名乗り、北海道の監獄で剣道を教えていた。





英国人は芝生の絞りたてジュースを飲む。

「ゾンビ」というトロピカルドリンクがある。

*ラムベースで、パイナップルやレモンを飾ったドリンク。





英国の第四代ソールズベリー伯爵トマス・モンターキュートは
最初に大砲を使った英国人で、大砲の弾丸で死んだ最初の英国人。

仏国のバスチーユ監獄を建てたパリの刑務所長オーブリオは
そのバスチーユ監獄に収容された最初の人でもある。





かつてスイカには「アイスクリーム」という品種があった。




英国人の7人に一人が幽霊を目撃している(という)。

1964年の英国で、レティという交霊学者が「幽霊の見える眼鏡」を発売した。

二枚のプラスチックレンズで青い液体をはさんだだけのインチキ商品。





刺青女優アンジェリーナ・ジョリーの背中(肩の辺り)には漢字の「死」が彫られている。

シャーリーズ・セロンは、映画「ショーガール」の主役オーディションに不合格。

大阪・花博で上演された舞台「シンクロニシティー」がジェニファー・ロペスの芸能界デビュー。





ダルマに目を入れるときは、左目からが本式。




「仏教徒に肉食は御法度」というは
天武天皇が発布した肉食禁止令によるもので日本だけのこと。
仏教では肉食を禁じる教えはない。

日本で「愛」という言葉は
もともと仏道の成就を妨げる家族や恋人への「執着」を指す否定的な意味だった。

*肯定的な言葉になったのは
キリスト教が持ち込まれ「アガペ(神の愛)」の訳語とされてから。

葬式の焼香は、元々インドで高温による体臭消しに焚いたり体に塗ったりしてたものが
仏教の荘厳のために使われるようになり、日本に伝わった。





KFC店舗の前にあるカーネル・サンダースの人形ディスプレイは
サンダース60代の時のサイズに作られている。

*そのサンダース人形ディスプレイは日本オリジナル。
海外の店舗のそれは日本をマネたもの。





メトロノームを最初に使用したのはピアノ教本で知られるツェルニーと、ベートーベン。

*メトロノームは
ドイツのヨハン・メルツェルという技師が1815年に考案し、翌年特許を取得した。

べートベンとシューベルトは3年間同じ喫茶店に通い一度も会うことが無かった。

ベートーベンはモーツァルトに弟子入りを断られたことがある。





動物園の象の飼育係は、象の前ではたとえ園長に対してでも敬語を使わない。

*雰囲気を察した象にナメられて踏み殺される恐れがあるから。





阿部定は1929年に浅草の料亭「星菊水」に女中頭としてスカウトされ
「お定さんのお酌で一杯」のキャッチフレーズで店は大繁盛
普通の女中の月給が3000円の時代に2万5000円の高給取りだった。





ハッタリ映画監督のマイケル・ベイは、ジョン・フランケンハイマー監督の息子。




「インフルエンザ」という語は「星から来る霊的な力」という意のイタリア語が語源。




積乱雲から地上に降りるのが「竜巻」、地上から空に向かうのが「つむじ風」。




世界最初のアラン・スミシー名義の映画は
リチャード・ウィドマーク主演の「ガンファイターの最後('69)」。

*その正体はドン・シーゲル監督。

クレジットにAlan Smitheeの名を使うときは
本物のAlan Smitheeさんに使用料を払わなくてはならない。
しかもSmithee家は代々Alanの名を受け継いでいるので
これからもずっと使用料はかかる。





マカロニ・ウエスタン「荒野の用心棒('65)」の主役は
当初クリント・イーストウッドではなく、リチャード・ハリソンが予定されていた。

*そのリチャード・ハリソン主演の「赤い砂の血斗('65)」が
日本初公開のマカロニウェスタン。

*1962年に倒産した西ドイツのブロンストン・プロに解雇された米国人スタッフが
帰国の旅費を作るためにスペインで製作した
「荒野の愚連隊('62)」というインチキ西部劇作りのアイデアを
イタリア人がパクって作り始めたのがマカロニ(スパゲティ)ウエスタン。

イタリア製西部劇マカロニ(スパゲティ)ウエスタンは6年間に270本が作られた。





明治23年に建設され関東大震災で崩壊した浅草の超高層ビル凌雲閣(通称十二階)には
日本初のエレベーターが設置されていた。

*座布団を敷いた腰掛けが設けられた28人乗りのエレベーターだったが
故障が多く2年で使用禁止。

*凌雲閣の超高層ぶりは、向島の土手からも上野からも
どの家の物干しからも見えたほど。

*凌雲閣では日本初のミスコンテストが行われたし
崩壊後の解体作業も日本初の高層ビルの爆破となった。

帝国ホテル(大正12年8月完工)の落成式当日は
関東大震災だったが、崩れることはなかった。





ユリ・ゲラーが来日して大ブームになった「スプーン曲げ」だが
当初はスプーンではなく「フォーク曲げ」だった。

*ユリ・ゲラーの初登場は1974年3月の「木曜スペシャル」ではなく
その前年の「11PM」





4月1日生まれの人が前の学年に入れられるのは
年齢算出法のもとになっている民法143条「年齢計算ニ関スル法律」によって
「年齢は誕生日の前日にひとつ増える」ことになっているから。





水道水の値段(約0.1円/1L)とミネラルウォーターの値段(約100円/1L)の差は
採水地からの輸送費とペットボトル代の違い。





「夕暮れ時は淋しそう」「さよなら」などの曲で
70年代中頃に人気があったフォークグループ「N.S.P」は
「ニュー・サディスティック・ピンク」の略。

キャンディーズのバックバンドでスペクトラムの前身「M.M.P」は
「みんな みんな パー」の略。

70年代中頃にキャロルの弟分としてデビューし
あまりにヘタな演奏と歌で有名になったロックバンド「DO・T・DOLL(ドゥーティードール)」は
「童貞人形」のモジリ。メンバー全員が16才だったため。

*このバンドからふたり参加して結成されたのが
山本恭司率いるハードロックバンドのBOW-WOW(その後VOW-WOWに改名)。





プルーストは「失われた時を求めて」を執筆中、部屋の全ての壁にコルクボードを貼っていた。

*静寂を保つためのそのコルクは、執筆作業が終わった13年後に家ごと売られた。

スパニッシュ・ブラックという色の絵の具の原材料はコルク。

コルクの原木は地中海地方でしか育たない。
コルクの生産地は、ポルトガル、スペイン、アルジェリアの三国のみ。

*米国カリフォルニアに移植が試みられたことがあるが根付かなかった。

コルクの皮剥は8〜10年に一度づつしか採取できない。





英国王ジョージ一世は生粋の英国人なのに英語が全く話せなかった。